神戸地方裁判所 昭和43年(ワ)1174号 判決 1969年5月30日
主文
被告は原告に対し金九四万四八八一円及びこれに対する昭和四三年九月一五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
原告訴訟代理人は主文第三項と同旨及び「被告は原告に対し金九四万四八八一円及びこれに対する昭和四三年九月一二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告控訴代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
第二 原告の主張
(請求原因)
一 原告は、訴外株式会社継谷商店(以下、訴外会社という)に対する金九四万四八八一円の約束手形金債権に基き、別紙目録記載の債権(以下、本件預託金という)につき訴外会社を債務者、被告を第三債務者とする仮差押命令を申請したところ、神戸地方裁判所昭和四三年(ヨ)第五四四号仮差押決定が発せられ、右決定は同年六月八日被告に送達された。
二 次で、原告は、訴外会社に対する同裁判所同年(手ワ)第二八六号約束手形金請求事件の判決の執行力ある正本に基き、本件預託金につき訴外会社を債務者、被告を第三債務者とする債権差押並びに転付命令を申請したところ、同裁判所同年(ル)第一四八二号(ヲ)第一五五四号債権差押並びに転付命令が発せられ、右命令は同年八月三日訴外会社及び被告に送達された。
三 よつて、原告は被告に対し本件預託金九四万四八八一円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和四三年九月一二日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(抗弁に対する答弁)
一 抗弁第一項の事実は知らない。
二 同第二項のうち、訴外会社が原告より昭和四三年六月八日本件預託金の仮差押を受けたことは認めるが、その余の主張は争う。
三 同第三項の事実は認める。
四 同第四項のうち、被告主張の書面がその主張の頃原告に到達したことは認めるが、その余の主張は争う。
第三 被告の主張
(請求原因に対する答弁)
原告の請求原因事実は認める。
(抗弁)
一 被告は昭和四三年六月八日現在、訴外会社に対し弁済期の定めがない割引手形買戻請求権金三六五〇万九三八円の債権を有していたところ、これより先、昭和四〇年一二月三一日被告と訴外会社との間には「訴外会社が仮差押等の申請を受けたときは、被告に対して負担する一切の債務につき、被告から通知催告等がなくても当然に期限の利益を失い、直ちに弁済する。」旨の銀行取引約定が締結されていたものである。
二 訴外会社は昭和四三年六月八日原告より本件預託金の仮差押を受けたので、前項の約定に基き、同日、全債務につき期限の利益を失い、被告の訴外会社に対する同項記載の債権の弁済期が到来した。
三 本件預託金は、同年九月一四日神戸手形交換所から被告に返還されたので、その弁済期は同日である。
四 そこで、被告は転付債権者である原告に対し、同年九月二五日付書面で、被告の訴外会社に対する前記割引手形買戻請求権の内金二一一万九二三五円をもつて本件預託金をその対等額において相殺する旨の意思表示をしたところ、右書面はその頃原告に到達した。
以上のとおり、被告は本件預託金の仮差押以前に取得した債権を有し、かつ、その弁済期は、本件預託金の弁済期より先に到来しているのであるから、右相殺をもつて原告に対抗しうる。
第四 証拠関係(省略)
理由
一、原告の請求原因事実は当事者間に争いがない。
二、よつて、被告の抗弁について判断する。
1、被告が原告の仮差押申請前、訴外会社に対し割引手形買戻請求権金三六五〇万九三八円の債権を有していたことについては本件全証拠によるもこれを認めるに足りない。
ところで、手形割引は割引依頼人が満期未到来の手形を相手方に交付し、手形金額から満期日までの利息その他の費用(割引料)を差引いた金額を取得する取引であり、この法的性質については売買説、消費貸借説、売買消費貸借併存説等の諸説があるが、一般に銀行取引として行われる手形割引は原則として手形の売買と解すべきであり、成立に争いのない乙第一号証(銀行取引約定書)によると、昭和四〇年一二月三一日被告と訴外会社との間に締結された銀行取引約定には、手形割引が手形の売買であることを前提としてその買戻約款が定められていることが明らかである。
そして、成立に争いのない乙第二号証によると、原告の仮差押申請前、被告は訴外会社の依頼により手形金額合計金三六五〇万九三八円相当の手形二三通を割引いていたことが窺われ、前示乙第一号証によると、昭和四〇年一二月三一日被告と訴外会社との間には「訴外会社が手形の割引を受けた場合、仮差押等の申請があつたときは全部の手形について、被告から通知催告等がなくても当然手形面記載の金額の買戻債務を負い、直ちに弁済する。割引手形について債権保全のため必要と認められる場合には、被告の請求によつて手形面記載の金額の買戻債務を負い、直ちに弁済する。債務を履行するまで、被告は手形所持人として一切の権利を行使することができる。」旨の銀行取引約定が締結されていたことが認められ、訴外会社が昭和四三年六月八日原告より本件預託金の仮差押を受けたこと、本件預託金が同年九月一四日神戸手形交換所から被告に返還されたこと並びに被告が転付債権者である原告に対し同年九月二五日付書面で被告の訴外会社に対する割引手形買戻請求権の内金二一一万九二三五円をもつて本件預託金をその対等額において相殺する旨の意思表示をしたところ、右書面がその頃原告に到達したことは当事者間に争いがない。
2、ところで、差押債権者に対する第三債務者の反対債権をもつてする相殺の効力については民法第五一一条が規定するところであるが、第三債務者が差押(仮差押)前に取得した反対債権であつても、その弁済期が、受働債権たる被差押債権の弁済期と同じであるか、又はそれ以前に到来する場合に限り、同法条の反対解釈として第三債務者は相殺をもつて差押債権者に対抗し得るものと解するのが相当である。
3、次に、被告と訴外会社との間には「訴外会社が手形の割引を受けた場合、仮差押等の申請があつたときは全部の手形について、当然買戻債務を負い、直ちに弁済する。」旨のいわゆる割引手形の買戻約款を定めた銀行取引約定が締結されていたことは前示のとおりであり、被告はこれによつて被告の割引手形買戻請求権が本件預託金の弁済期よりも先である原告の仮差押申請前に(成立し同時に)弁済期が到来したと主張する。
しかしながら、割引手形の買戻請求権は、取引先は勿論、第三者の法律関係にも影響を及ぼすところが大きく、銀行側において買戻請求につき裁量の余地のある事由についても当然に成立するものとするときは、その成立の有無が明確でなく、不当に第三者の権利を害する恐れがあり、これを避けるためその成立の有無を客観的に認識し得る明確なものにする必要があるから、
(1) 満期において又は満期前に遡求の実質的要件たる事実が発生した場合には、当然成立し、
(2) (1)以外の場合には、銀行が買戻請求の意思表示をしたときに成立する、
と解すべきであり、(1)(2)の条件に合致しない割引手形の買戻約款は、少くとも、第三債務者が反対債権により相殺をもつて差押債権者に対抗する関係においてはその効力を有しないものと認めるのが相当である。しかも、(1)(2)の条件に合致しない割引手形の買戻約款に差押債権者との関係においても効力を認めることは、私人間の特約のみによつて民法第五一一条の予定する相殺可能の範囲を不当に拡張して差押の効力を排除することになるから、契約自由の原則をもつてしても許されないものといわなければならない。
したがつて、割引手形の買戻約款がある場合、(1)(2)の条件に合致するものはこれによるべきであるが、右条件に合致しないものはこれを考慮外におくべきである。
4、これを本件についてみるに、受働債権である本件預託金が昭和四三年九月一四日神戸手形交換所から被告に返還されたことは前示のとおりであるから、同日その弁済期が到来したものというべく、他方、前示乙第二号証によると、被告は訴外会社に対し昭和四三年六月二七日付書面で手形金額合計金三六五〇万九三八円の割引手形(二三通)について買戻請求の意思表示をしたことが認められ、他に反証の認められない本件においては右書面はその頃訴外会社に到達したものと推認すべきであるから、被告主張の割引手形買戻請求権は昭和四三年六月二七日頃成立し同時に弁済期が到来したものというべく、右債権は原告の仮差押後に被告が取得したことになるから、被告は相殺による消滅をもつて差押(仮差押)債権者である原告に対抗することができないものといわなければならない。
したがつて、被告の抗弁は採用することができない。
三、そうすると、被告は原告に対し本件預託金九四万四八八一円及びこれに対する弁済期の翌日である昭和四三年九月一五日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務あり、原告の本件請求は右認定の限度では正当であるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、なお、仮執行の宣言は不要と認めてこれを付さないこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を適用して主文のとおり判決する。
(別紙)
目録
訴外会社が左記約束手形一通の不渡を原因とする取引停止処分を回避するため被告に予託した金九四万四八八一円の返還請求権
記
一、約束手形
(1)金額 九四万四八八一円
(2)満期 昭和四三年五月三一日
(3)支払地 神戸市
(4)支払場所 被告山手支店
(5)振出地 神戸市
(6)振出日 昭和四三年一月一〇日
(7)振出人 株式会社継谷商店
(8)受取人 丸宮商事有限会社
(9)所持人 原告